先月の話になりますが、宇治の妙光寺さまの境内に記念碑をつくらせていただきました。

ご本堂の屋根を約六十余年ぶりに葺き替えた、その記念碑です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

記念碑は、六十年間ご本尊を風雨から守ってくれた瓦を称える意味も込めて、下ろしてきた鬼瓦を使ってつくりました。

 

 

 

 

その記念碑に、現住職が刻まれた文字。

 

所求 所帰 去行

 

 

 

 

しょぐ、しょき、こぎょうと読むそうです。

 

所求とは求める所と書きますが、私たちが何を求めて進んでいくのか?ということ。

所帰とは帰依する所で、私たちは何を信じて生きていくのか?ということ。

去行は、「去る」に「行う」と書きまして、どのような修行を実践していくのか?そういった意味になるそうです。

 

 

 

子曰く、其(そ)の以(な)す所を視(み)、其の由(よ)る所を観(み)、其の安(やす)んずる所を察すれば、人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや

 

これは中国の古典、論語の一節です。

 

まずその人の行動を観察し、ついでその人の行動の動機を調べ、さらにその人のその行為は何を拠り所としているかどうかを探る。この三つで必ずその人物の正体は明らかになるという意味です。

 

 

 

言葉自体は難しいですが、なんのなんの。

 

表情や態度には出しませんけど、相手の人の言葉や行動の選択をじ~っと観察して、その人がどんな人物なのか値踏みする。

 

 

 

なんてことは誰だってやります。

僕もします。

 

結構見透かせます。レントゲン写真みたいに。

長く付き合えば付き合うほど。

 

つうことは、僕も見透かされてるわけだ。

まわりの人に。

 

 

 

 

 

 

 

大層めな言い方になりますが、自分という人間の、この世で生まれた可能性。

その可能性や価値とは、人に喜んでもらうこと。人の役に立つことです。

それを千五百年以上の歴史ある日本の自然を題材にした、いわゆる庭という芸術の世界で、挑戦する自分の作品を通して実践していきたい。

 

これが僕の所求、所帰、去行です。

 

 

 

言うは易し。実行は難し。頑張りなさい、僕。

 

 

 

 

 

 

短い期間でしたが、非常に楽しいお仕事をさせていただきました。

妙光寺のご住職やお檀家様には大変お世話になりました。

有り難うございました。