前回までの TOKUSA会研修旅行 の続きです。
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東福寺方丈庭園を後にして、向かった先は世界文化遺産にも登録されている「苔寺」で有名な西芳寺です。
(西芳寺庭園案内のしおりより)
聖徳太子の御創業。
千三百年前、行基菩薩が開山。
六百五十年前、夢想国師が中興し、林泉も大修復した鎌倉式庭園であります。
まずは池泉回遊式庭園。
訪れたのが冬だったので、苔の色はイマイチでしたが、雨上がりでほど良く濡れていたので、その分雰囲気が出て良かったです。
庭園の中央の池は心字形になっているそうです。
池の浮島を結ぶ橋も苔でびっしり。
ここに立っていると、足元から苔が体にまで生えてきそうです。
向上関。
ここから上が石庭となり、有名な枯山水石組があります。
右側の丘の上にチラリと見える建物が指東庵。
この横に枯山水の石組があります。
これが枯山水石組なんですが。。。残念。
本物の持つ迫力が、写真ではイマイチ伝わりませんね。
この石庭。
夢想国師がつくった当時と現在とでは様相がまるで違うでしょう。
もちろん当時は苔もこんなに乗っていることはないでしょうし、周りの地形や植栽にしたって、まるっきり違ったでしょう。
当時と同じなのはこの力強い石組だけ。
ただ、六百五十年経た今でも、この石組に彼の情熱を垣間見ることができます。
これは私たちにとっては絶滅した恐竜を見るくらい、キセキなんです。
同行したぞのさん。
ニンマリ顔ですが夢想国師が組んだ石組を見て、何かを感じたのでしょうか。
最後に本堂前にあった石碑に刻まれた文を紹介したいと思います。
苔寺にて
お互いの祖先の日本人が、その時々に築き上げて遺したものを今の若い人たちがどんなふうに見ているのか尋ねたいことである。
亡びたものをただ美的な興味で眺めているのか。それともこう乱雑になった世の中にも、自分たちの生活や血につながりのあるものとして、なつかしみ受け取ろうとする心が残っているのか確かめてみたい。
帰郷 過去の章より
大仏次郎作 川端康成書
次回、高野山(奥の院)編はコチラ
2010年2月9日 at 22:52
なんとも荘厳な雰囲気でした。
まるで現世を遮断するかの様な不思議な空間でした。
自由に歩かせてくれたのは意外でしたね。
遥か彼方、古の時代に作られた夢想国師様の
石組みが見られただけで大満足でした。
2010年2月9日 at 23:52
そういえば・・・
よく考えてみれば・・・
和風庭園?!というものは
お寺の庭であることが多いのですから
基本的に
仏教哲学の教えにそっているのですね
そう考えるとより深いものがありますね
夢想疎石
朝日新聞の「仏教を歩く」2003年刊
と言う週刊雑誌があるので
また今回読み返してみましたが
生来の罰当たりのため
なかなか
勉強が・・・進みません(-"-;A
写真を拝見するだけで
心が落ち着きます 次回も楽しみにしています
2010年2月10日 at 00:19
写真や、テレビで見たことしかない私ですが...その場所は、人が造った空間。けれど、自然にできた空間のようなそんな感想を持ちました。
実際に、その場所に立ったら、迫力や空気を直接感じたら、また違った感想をもつのかもしれないですね。
あの..初めてのコメントなのに(>_<)こんなんでゴメンナサイ<(__)>
緊張しちゃいました(。。;)
2010年2月10日 at 07:24
この空間は庭って言うより 遺跡 でした。想像しまくりで最高だったです。(^-^) 何年か前に阿波国分寺の非公開の庭を壊れた塀の隙間から覗いた時の事を思いだしました。あぁ~良かった~!(^O^)/
2010年2月10日 at 08:47
もう幸せすぎると、あんな顔になるんですね。。。
超自然的な庭?・・・歴史が作り出した宝ですね~
2010年2月10日 at 14:34
>ノブヲさん
自由に歩かせてくれたのも意外でしたし、
庭園内で煙草を吸える場所があったのも意外でしたね。
2010年2月10日 at 15:53
>クレマチスさん
日本庭園と仏教は密接に関わっています。
むしろ、日本独自の宗教的思想の解釈を庭園に取り入れ、韓国や中国とは違ったこの国独自の庭園文化が出来上がっていたのです。
枯山水なんてその代表ですよね。
ん~、ここんトコは、簡単には説明できません。
語れば何時間も必要になってきます。
私もブログを書くために以前読んだ本を色々とひっぱり出してきて、もう一度読んでます。
1度読んだはずなのに、なぜかその度に新しい発見をして感動しています。
本って、売っては駄目だなと改めて痛感しました。
2010年2月10日 at 16:13
>アネサンさん
はじめましてo(^▽^)o
コメントめっちゃ嬉しいです♪
そうですね。
夢想国師が作庭した当初は、その美しさが絶賛され、
西芳寺の庭園を見ることが、その時代の大名たちの
ある種のステータスになっていたそうですが、
現在ではその面影は大まかな地形や石組を残すのみで
当時の壮麗さを計り知ることは出来ません。
そのかわり、年月を経た西芳寺独特の神秘的な雰囲気を味わえます。
2010年2月10日 at 16:28
>植木屋さとちゃんさん
また作文って。。。(;^_^A
庭園というより、まさに遺跡とか遺構っていう言葉がピッタリですよね。
2010年2月10日 at 16:34
>ぞのさん
あの顔は幸せすぎた顔だったんですかヽ(゚◇゚ )ノ
たしかに。。。
ズームアップすると、ホント幸せそうでした。
でも、私的にはですね。
般若心経を唱えたあの部屋の、襖絵のほうが庭園よりインパクトありました。
写真撮影できなかったのが、無念でなりません。
2010年2月10日 at 18:10
長く手付かずの荒れ寺になっていたと聞いた事が御座いますが。。それで、世界に類を見ない苔の種類が豊富な庭に。。。私の知識は浅はかなので分かりませんが。
私達の神とも言える方が造った庭を見れるだけでも光栄だと思います。羨ましいです。
またその残り方が素敵で、夢想国師が創った世界に自然と苔が淘汰した世界。人が手をつけず残り、人が手をつけて残り、これからの世界観に繋がるものだと。。。
あいたっ、自分で書きよって訳分からんごつなってきた。
なんさん、よかもんはよか!
2010年2月10日 at 18:38
>庭やmusashiさん
訳分からんごつなかですよ♪
気の遠くなるような時間の流れ。それも静かな流れではなく、戦乱・動乱・衰退・荒廃を繰り返して経た姿。
西芳寺の世界。
これが今ある、あるがままの姿。
西芳寺の世界。
そして重森三玲の世界。
私の世界も必ずあります。
あいたた。訳分からんごつなってきた!!
なんさん、よかもんはよか!! ですよね~o(^▽^)o