1人でも多くの方々に読んでいただきたく、1冊の本を紹介したいと思います。

庭志から庭師へ
おじいちゃん戦争のこと教えて
/中條高徳 著

この本は、著者の中條氏とその孫娘との手紙を文庫化したものです。

戦争のこと。日本のこと。そして、日本人のこと。
あの戦争で日本人は何を失ってしまったのか。

おじいちゃんが可愛い孫娘に宛てた手紙ですから、読みやすく、判りやすく愛情いっぱいに書かれています。

孫娘の景子さんはニューヨークのマスターズスクールというところで学んでおられます。
で、ある日、アメリカ史の授業で課題が出されたそうです。

おじいちゃん、お元気?
今日はお願いがあってお手紙を書きます。
必須のプロジェクトで、アメリカ史の授業を受けています。
先生はMs.Wood。
今は1900年代に入り、第一次大戦から第二次大戦、そして朝鮮戦争、ベトナム戦争のあたりをやっています。

・・・略・・・
そのM’sWoodからから課題が出たのです。
1900年代に入って、第一次大戦、第二次大戦のところをやって、家族や知人で戦争の体験をした人の話しを聞こう、ということなったのです。
戦争の中でどのようなことを体験し、何を考えたのか。
それぞれの国によっても違いがあるはずだから、それを聞こうというわけです。
・・・略・・・
MY LOVE おじいちゃん    keiko

こんなことが書かれた手紙が、おじいちゃん(中條氏)の元に届いた。
手紙を読み進むうちに、これは生半可なことでは返事は書けないぞ、と気持ちを引き締めたそうです。

マスターズスクールでやっている歴史教育が、アメリカのスタンダードなのかどうかは知らない。
だが、一部であれ何であれ、かつて敵だった国の人間の戦争体験と考えを聞こうという、そういう授業を確かに行っているのである。
私は近現代史についてはほとんど授業で教えない日本の学校における歴史教育の在り方を思い浮かべた。
そこにはアメリカのしたたかさと、世界の超大国としての自信がみなぎっているのを感じないわけにはいかなかった。
そして、かつて敵だった国の人間の戦争体験を聞き、それを教材にして歴史認識を深めさせようとする態度に、アメリカの持つしなやかな強靭さと底時からの所以を見たように思い、うーんとうなった。
孫娘の手紙には、細かい文字で質問が箇条書きにされた別紙が添えられていた。
それを読み、私はふたたびうなった。


1.おじいちゃんの生まれた頃の日本は?

2.おじいちゃんが受けた義務教育は?

3.なぜ、軍人の学校に進んだの?

4.陸軍士官学校の教育はどんなだったの?

5.おじいちゃんは線上に行ったの?

6.終戦後、おじいちゃんはどうしたの?
7.戦後の学生生活で何を考えていたの?

8.なぜビール会社に就職したの?

9.アメリカとの戦争は正しかったと思う?

10.終戦直後の日本の様子を教えて

11.極東軍事裁判について、どう思う?

12.戦後の新体制に感じたことは?

13.戦後の社会を見て思うことは?

14.戦後のアメリカの影響について教えて

15.天皇について、おじいちゃんの考えは?

16.日本のこれから、そしてアメリカとの関係は?

近現代史を欠いた歴史は歴史とはいえない。
近現代史にブリッジされて、はじめてそれ以前の歴史は文化や伝統となって現代に息づき、力を持つことができるのである。
太く力強い近現代史を持たない国は歴史を、つまりは固有の文化や伝統を持たない国であり、そういう国は根無し草でしかない。

日本はどうもそういう国になりつつあるのではないだろうか。
政治や経済の分野で先行きに確信が持てず、あてどなく浮遊する感覚の中で怯えているかのような現状は、そのことの反映なのかもしれない。

孫娘の質問状をなぞりながら、私たち戦争を体験した世代が己の体験をなんの粉飾もなく、ありのままに次の世代へ語り継ぐことがあまりにも少なかったのではないかと思った。
少なくとも、私自身は断片的には語っても、系統立てて娘や孫に語ってこなかった怠慢を思わないわけにはいかない。

でも、まだ遅くはない。
今からでも語らなければならない。
それが、あの戦争を体験した私の責務であると思った。
孫娘の質問状は私にその機会を与えてくれたのである。
これがアメリカの学校の課題であることはひとまず置いて、私は孫娘1人に向かい合う気持ちであの戦争で体験したことを、自分史を刻む気持ちで語ろうと思った。

色々な禁忌や思惑にとらわれることなく、ありのままに。

こんな決意を持って書かれたのが、本書「おじいちゃん戦争のこと教えて」です。


あの戦争は一体何だったのか。
そして、その戦争の代償として日本人が失った心とは。
我々、戦争を知らない世代にとっては、失ったまま育ったということです。
失った実感すらもありません。
ぜひ、おじいちゃんの手紙を読んでみてほしいと思います。



最後に文中にあったマレーシア元上院議員ラジャー・ダト・ノンチック氏の詩を紹介したいと思います。

この詩はアジアの国々を植民地の苦しみから解放する契機となった日本への感謝を綴った「日本人よありがとう」という本の序文にある詩です。

かつて 日本人は
清らかで美しかった
かつて 日本人は
親切で心豊かだった
アジアの国の誰にでも
自分のことのように
一生懸命つくしてくれた

何千万人もの 人の中には
少しは 変な人もいたし
おこりんぼや わがままな人もいた
自分の考えを おしつけて
威張ってばかりいる人だって
いなかったわけじゃない


でも、そのころの日本人は
そんな少しの いやなことや
不愉快さを超えて
おおらかで まじめで
希望に満ちて明るかった


戦後の日本人は
自分たち日本人のことを
悪者だと思いこまされた
学校でも ジャーナリズムも
そうだとしか教えなかったから
まじめに
自分たちの父祖や先輩は
悪いことばかりした残酷無情な
ひどい人たちだったと 思っているようだ


だから アジアの国に行ったら
ひたすら ペコペコあやまって
私たちはそんなことはいたしませんと
言えばよいと思っている


そのくせ 経済力がついてきて
技術が向上してくると
自分の国や自分までが
えらいと思うようになってきて
うわべや 口先では
済まなかった悪かったと言いながら
ひとりよがりの
自分本位の えらそうな態度をする
そんな
今の日本人が 心配だ


本当にどうなっちまったんだろう
日本人は そんなはずじゃなかったのに
本当の日本人を知っている私たちは
今も いつも 歯がゆくて
くやしい思いがする


自分のことや
自分の会社の利益ばかり考えて
こせこせと
身勝手な行動ばかりしている
ヒョロヒョロの日本人は
これが本当の日本人なのだろうか


自分たちだけで 集まっては
自分たちだけの 楽しみや
ぜいたくに ふけりながら
自分がお世話になって住んでいる
自分の会社が仕事をしている
その国と 国民のことを
さげすんだ眼でみたり
バカにしたりする


こんな人たちと
本当に仲良くしていけるのだろうか
どうして
どうして日本人は
こんなになってしまったんだ