京都人・大阪人・奈良人が集い。

さらに、遠路はるばる神奈川・熊本からと。

わざわざ集まったのは何を隠そう、自分たちのつくった庭が展示されている、全国都市緑化ならフェア『やまと花ごよみ2010』の盛況ぶりを見に行くためです。

しかし、随分寄り道してしまいました。

京都のアートフェスタ、平安神宮、龍安寺とつづきまして、奈良では依水園に吉城園。

なんだか目的が変わってきてるような。。。

始めからはこちら↓↓

金賞!!祝賀会①

いくらなんでも、もうそろそろ目的地に向かわないといけません。

ですが、もう1箇所だけ寄り道させてもらいましょう。


庭志から庭師へ
興福寺です。

当日は五重塔の内部と東金堂の内部が特別公開されていました。
特別公開の写真は撮影禁止なのでありません。
写真はNO!なんです。

そして、リニューアルされた国宝館へ。

国宝館には、あの有名な阿修羅像も展示されています。
もちろん、こちらも写真はNO!なのでありません。

しかし、奈良時代の仏像群の迫力には、衝撃を受けました。
何に衝撃を受けたかと言えば、仏像のディティールの仕上げ。
滑らかな曲線を描く衣服の、軽やかな質感。
思わず脈拍を計ってしまいそうになる血管の浮き出た、筋肉の躍動感。
悲しげで、優しげで、厳しげで、冷たげで。全てを見透かすその表情。

これが木、あるいは土でつくられているなんて…。

1300年前の名もなき仏師の仕事と、それを1300年もの間、守り続けてきた人々の想いに衝撃を受けました。

実は、今まで仏像というものに、さほど興味はありませんでした。

ふ~ん、てなもんで。

しかし、興福寺の阿修羅像は非常に有名です。
庭志から庭師へ
国宝館内でも、阿修羅像の前には人だかりができてました。

なぜ、この阿修羅像がそれだけ人々を魅了するのでしょうか。

知識がない私にはさっぱりわかりません。

この機会にちょっと調べてみることにしました。

3つの顔を持ち、6本の腕を持つ妖怪の様な容貌の阿修羅とは。

細かいことは省きますが、古代インド神話での阿修羅王は、帝釈天を向こうに廻して、荒々しい合戦を繰り返す悪神で、容貌醜怪な札付きの外道とされています。

しかし、『要望醜怪な札付きの外道』なんて、この興福寺の阿修羅像の姿からは想像がつきません。

だって、子どものような顔だちですもの。
それに体も華奢ですし。

確かに、6本の腕で6本の剣を持ち、襲いかかられたとしたら、そりゃあ恐ろしいとは思いますが、果たしてこの細腕で、そんな荒ワザが出来るとは到底思えません。

ちなみにこれは三十三間堂の阿修羅像の姿です。
庭志から庭師へ
そう。

これこそがキン肉マンに登場するアシュラマン程度の知識しかない私のイメージ通りの姿です。

しかし、同じ阿修羅像なのに、何故こうも違うのか。

もちろん仏像が作られた時代背景が違えば考え方や流行なんかも違うでしょうから、その時代に見合った好みの姿で作られているんでしょうが、興福寺の阿修羅像は、その後に釈迦の教化によって仏法の守護神となった阿修羅の姿であると解釈されていたりするんですね。

ですから、天界を暴れ廻る要望醜怪の悪神のイメージではないんだということです。

この神秘な表情は、荒々しい心が仏の教化によって迷いから目ざめ、愁眉を開きつつある顔付きだといわれています。

言われているだけで、ホントのところは判りません。

私には、困った表情にしか見えないんですけどね。

それは私が浅いから。

ちなみに、あるブログに書かれていたのですが、、八部衆(仏法を守護する八神。阿修羅はこの内の一体)に童顔が多いことと、この仏像を作らせた人が光明皇后という心優しい女性であったことから、光明皇后の好みが多分に含まれているのではないかと。

私はこれを読んで、妙に納得してしまいました。

そんな興福寺の阿修羅像なんですが、もうちょっとインターネットで調べてみますと、興福寺のホームページに、明治時代に撮影した貴重な古写真を閲覧できるページを見つけたんです。

そこには阿修羅像の写真もありました。

あったんですが。。。

庭志から庭師へ

あれれ?手が2本ないぞ。

…確か国宝館で見たときは。。。あったよね…。

庭志から庭師へ

うん、やっぱりある。

…となると、修復したのかな。

だけど、仏像も修復したりとかするんですね。
他の仏像は手とか足とかが損傷したままで展示してあったのですが…。

う~む。

と、気になってもう少し詳しく調べてみますと、あるブログで驚きの事実を知りました。

そのブログとはこちらです。
詳しく載っていますので、ぜひクリックして読んでみて下さい。

http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/daily/200912/29

興福寺に、よもや壊滅するほどの出来事が、近代史実としてあったこと自体が知りませんでした。

そして、五重の塔がたった5両で売却されたことにも驚きでした。
5両を今でいうと、約2万円だそうです。
考えられませんよね。

そして、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)。

仏教寺院や僧侶を排斥する思想や行動のことで、明治政府の『神仏分離令』をきっかけに全国的に展開されたとか。

「寺院僧侶から収奪の限りを尽くされていた民衆も、廃仏毀釈運動にはこぞって参加し、堂塔・伽藍や、仏像・仏画・絵巻物・経典・什物などの破却・焼却手を貸した(「国史大辞典」より)」と言います。

これについては、もう少し勉強してみようと思います。

おっと。寄り道が過ぎましたね。

さっさと『やまと花ごよみ』に行かねば、記事が長くなり過ぎてしまいます。

ただ、急いで向かったのはいいんですけどね。

せっかく着いたというのに、なんだか皆さんお疲れの様子です。

庭志から庭師へ

あんだけ寄り道すると。

そらまあ、疲れますわな。。。

帰り際、ならフェア実行委員会さんから、ご褒美を頂きました。

庭志から庭師へ

ガラスでできた、なかなかオサレな盾です。

5つ欲しかったのですが、1つしか貰えませんでした。
その貴重な盾をリーダーぞのさんの配慮で私がお預かりすることになりました。
毎日磨くことを日課にしたいと思います。

おしまい。 ということで。