「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」

2014年11月10日に逝去した、俳優の高倉健の座右の銘。
これは、大無量寿経というお経の中にある言葉だといいます。

どんな苦難に出会おうと、それは自分を高めるための精進であり、たとえ、忍んで耐えるだけで終わってしまったとしても、悔いはない。

なんと美しい覚悟でしょうか。
私が毎日の日課として読んでいる〝人の心に灯をともすブログ〟の今日の内容が、この高倉健さんの座右の銘の話でした。

その内容に感銘を受けまして、私もこのように生きていきたい。
そして悔いなく死んでいきたい。
そして、そういう生きざまを誰でもない、息子に見せたい。
そう強く思いましたものですから、内容を私なりにまとめてみました。

あくまでも、せっかく出会った素晴らしい言葉を忘れないよう、自分自身の覚書のためです。
http://ameblo.jp/hiroo117/day-20150323.html←オリジナルはこちらです。

高倉健は映画「南極物語」(83年公開)のオファーを受けた時、寿命を確実に縮めるであろう過酷な仕事を引き受けるべきか、決断を逡巡したそうだ。
迷いの袋小路に入り込んだ高倉健は、天台宗比叡山・酒井雄哉阿闍梨のもとを訪ねた。

酒井雄哉阿闍梨は、「千日回峰」と呼ばれる荒行を2回も達成している。
千日回峰の道程を聞くと気が遠くなる。
7年間の期限のうち1000日間を使って、比叡山の各峰を1日30キロのハイペースで踏破する。
700日の行程が終わった後には、9日間堂内に籠らなければならない。

この間、なんと食事も水も一切口にできないだけでなく、眠ることも横臥することさえも許されないのだ。
途中で命を落としても不思議はない恐るべき荒行を、雄哉阿闍梨は2度もやり遂げた。
その雄哉阿闍梨が、高倉健に先の言葉を送った。

高倉健は「南極物語」の長く過酷なロケに臨むにあたり、死を覚悟したのだろう。悲壮な覚悟で千日回峰の如き厳しい仕事をやり切り、高倉健は日本映画史上に残る名作「南極物語」を完成させた。

往く道は苦しく、憂鬱なことだらけだ。
苦しさと憂鬱に耐えて耐えて耐え抜き、精進を重ねて仕事をまっとうする。
暗闇の怖さにおののかず、思い切ってジャンプする。

こうして生が終わり、死を迎えれば悔いは少なくて済む。
一度この道を往くと決めたのならば、圧倒的努力によってとことんやり切る。
人間はスーパーマンではない。
哀しみながら、傷付きながら、自分自身と向かいあうしかないのだ。

苦難に耐えることはあっても、決して楽な方に逃げてはならない。
楽な方に逃げ始めたら、人生はバーゲンセールのように薄っぺらになってしまう。

「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ、ただ一燈を頼め」(言志四録)

暗夜すなわち、今、自分の置かれている厳しい状況を嘆いても仕方がない。
自分の持っている一燈を頼りに、覚悟を決め、迷わずに、ただひたすら前に進むこと。

この道しかない、と覚悟を決めた人は強い。
逃げ道を考えることがないからだ。
そして、この道をとことん深く掘る。

覚悟を決めた人は、強く美しい。