ご心配をおかけしましたが、新型インフルの猛威からようやく復活いたしました。

これも、皆さまの暖かいお言葉とタミフルのおかげです。ありがとうございました。

それと、この人手の足らない忙しい時期に、ぽっかり穴を開けてしまい、一緒に仕事をしている職人さんには多大な迷惑を掛けてしまいました。

お施主さんにご迷惑をかけることのないように、頑張ってくれた職人のみなさん、ありがとう。

感謝、感謝です。

え~っと。

インフルにヤラれる前なんですが、ちょっとしたきっかけがありまして、京都嵯峨野の大河内山荘庭園に行ってきたんです。

大河内山荘庭園は、昭和中期の名優・大河内傳次郎が1931年(34歳)から64歳で逝去するまで、実に30年の歳月に渡り生涯をかけてこつこつと築き上げたもので、映画出演料の大半をつぎ込み、庭師広瀬利兵衛とともに造営を行ったそうです。

嵯峨野の竹林の道。

庭志から庭師へ

その竹林の小路を突き当たったところが大河内山荘の入口です。

庭志から庭師へ

平日にもかかわらず、観光客の多さには閉口してしまいました。
観光シーズンですもんね。

庭園は百人一首で著名な小倉山の南面約2万平米という広大な敷地を使い、嵐山を背に遠くは比叡山の山並み、西は保津峡を背景とした借景回遊式庭園で、国指定文化財になっています。

入口から山道を少し歩くと、いきなり眼前に何十本もの赤松を配した築山が現れます。

庭志から庭師へ

色づいたモミジとのコントラストにおもわず「おぉ」と感嘆の声をあげてしまいました。

赤松林の合間を抜けて山門をくぐり、庭の奥へと進んで行きます。

次に現れたのは山荘の中心になる大乗閣。

庭志から庭師へ
寝殿造、書院造、数寄屋造、それに民家という日本の全住宅様式を網羅した建造物だそうです。

建物ももちろん素晴らしいのですが、後ろを振り向くと・・・

庭志から庭師へ

嵐山が一望できます。まさに絶景かな。

傳次郎氏は、消えることのない美を求めて、文字通り人生を賭してこの庭の創造にあたったのです。単に別荘というだけではなく、生命を凝縮した創作であったのです。

庭志から庭師へ
園路は概ねこういったつくりです。

そこにある石を上手に使った園路です。園路に適した石を選りすぐってつくれば、こういう趣きはでません。

持仏堂。

庭志から庭師へ

山荘の全ては此処から始まりました。

1931年(昭和6年・傳次郎34歳)、すでに大スターだった傳次郎氏は関東大震災(1923年/27歳の時に遭遇)からの念願であった持仏堂を建て、撮影の合間にここで念仏し、瞑想し、静寂を得て映画創り、庭創りに没頭しました。

茶室、滴水庵。

庭志から庭師へ

庭園の最上部からは、西は保津峡が臨めます。

庭志から庭師へ

そして東は京都市内を見渡せます。

庭志から庭師へ

遠くに見えるのは比叡山です。

抹茶をいただいた休憩所から。

庭志から庭師へ

近くなのに、CGかと疑ってしまうくらい竹が美しかったです。

最後に大河内傳次郎記念館。

庭志から庭師へ

当時の映像やイラスト、ポスター、撮影中のスナップ写真などが展示されていて、丹下左膳で一世を風靡した傳次郎氏の生涯と横顔を見ることができます。

恥ずかしながら、私は大河内傳次郎氏を知らなかったんですが、よくご存じの方は勿論、知らない方にも是非訪れてほしいお薦めの庭園です。