あなたには、師と呼べる人がいますか。
イタリア、ルネサンスの天才芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチは、以下のような言葉を残しています。

「画家は『自然』を師としなければならぬ。」

ダ・ヴィンチは、画家以外でも彫刻家、建築家、科学者として数々の偉業を成し遂げました。
実は幼少のころ、1日の大半を野山で過ごしていたそうです。
まさに、自然が師だったわけです。

彼は続けて、こう残しています。

「画家が手本として他人の絵を選ぶならば、取り柄の少ない絵を描くようになるだろう。自然の対象を学ぶならば、立派な成果をあげるであろう」

画家でない私たちにとっても、意味深い言葉として心に響いてきます。
他人の絵から絵を学ぶと、いい絵が描けない。
しかし、自然から学ぶことができれば、大成する。
そういう解釈が成り立ちます。

私たちの仕事でも、同じ分野のことを勉強するだけでは、いつの間にか伸び悩んでしまうことがあります。
そんなときは、もっと大きな視点からの勉強が必要なのかもしれません。

   *   *   *   *   *

松原造園は朝礼のとき、『月間朝礼』という冊子を使っておりまして。
これは、ついこないだの朝礼での文章。

ガガーンときました。

尤も私の頭の中では『画家』の部分を『造園家』と変換して読んでいます。
まぁ、「造園家は『自然』を師としなければならぬ」なんて、わざわざダ・ヴィンチに言われなくとも、世界最古の造園秘伝書である『作庭記』にも――生得の山水をおもはへて――と書かれているように、約800年も前の造園家も『自然から学べ』と教えてくれています。

実際、庭師を志し始めたばかりのときに、先輩からもさんざん言われたことですし、また自分の後輩にもそう言って教えています。

ですが、『策士が策に溺れる』という言葉もありますように、常日頃、庭のことばっかり考えているもんですから、普段からの観察対象が『庭』なんですよね。
『自然』ではなく、『既成の庭』を観察することが圧倒的に多い。

当然、驚きや感動、影響を受けるのもほとんどが『庭』からなもんで、『庭から学ぶ』という行為には、ついつい陥ってしまいがちです。

庭づくりだけに言えることではなく、仕事ってのは大抵同じようなことの繰り返し。
習慣化することが、もちろん技術の向上や作業の効率化に繋がっていくのですが、思考パターンがつい単調になってしまうという弊害には気を付けなければいきません。

ありがたいことなんですが、作庭の依頼が数件きています。
決まりましたら、年明けの仕事になりそうです。
ただ、年内におおよその設計を煮詰めるということで、ただいま机上で格闘中であります。

そんな折に、ということもあるんですが、常に本質を忘れてはいけないという戒めとして、ブログに書き留めておこうと思います。