日本一有名な石庭について。

日本一有名な石庭といえば、竜安寺の石庭じゃないでしょうか。

いや、世界一かも知れませんね。

調べたわけではないですが、多分間違いないでしょう。

なぜ、そんなに有名なのか。

それは、この庭の珍奇な姿と、この庭のつくられた経緯が謎に満ちているからです。

竜安寺の石庭は油土塀に囲まれた長方形の敷地に白砂を敷き、十五個の石を配置しただけ(しかも、巨石も珍石もない)の庭で、樹木は一本もありません。

庭志から庭師へ

写真は土塀の屋根を葺き替えた直後のものです。そこだけ新しいので、少し違和感がありますね。

以前は瓦葺きだったのですが、文献から元々は杮板葺きだったことがわかり、オリジナルに復元しようということで葺き替えられました。

因みに、この油土塀は写真の右奥に向かって傾斜しており、方丈から石庭を見ると、遠近感が強調される遠近法という手法が使われています。

砂と石だけのこの庭、実のところ美しいのか美しくないのか、見る人によって賛否両論であり、しかもこの庭が何を意図してつくられたのか、またつくられた年代も諸説あり作者もわかっておりません。

この庭の配石については、色々な説があります。

「これは七五三の配石である」

「これは心の字の配石である」

「これは扇型の配石である」

「これは宇宙を表現した配石である」

「この庭は虎の子渡しの庭である」

一番最後の「虎の子渡し」とは…?。ネットで調べましょう。

虎は、3匹の子どもがいると、そのうち1匹は必ずどう猛で、子虎だけで放っておくと、そのどう猛な子虎が他の子虎を食ってしまうという。

そこで、母虎が3匹の虎を連れて大河を渡る時は次のようにする。母虎はまず、どう猛な子虎を先に向こう岸に渡してから、いったん引き返す。

次に、残った2匹のうち1匹を連れて向こう岸に行くと、今度は、どう猛な子虎だけを連れて、ふたたび元の岸に戻る。

その次に、3匹目の子虎を連れて向こう岸へ渡る。

この時点で元の岸にはどう猛な子虎1匹だけが残っているので、母虎は最後にこれを連れて向こう岸へ渡る。

つまり、3匹の子虎を渡すのに3往復半するわけである。

龍安寺の石庭はこの様子を表わしたものだというわけである。

なるほど。 私が今並べただけでもこれだけの説があるんです。

奇っ怪な配石だけに、有識者の方々もどう捉えていいのか戸惑っているようですね。

今、私の手元に竜安寺の石庭について書かれた本が数冊あります。

少し、抜粋してみましょう。

「図説日本庭園のみかた 宮沢健次」

 ここでは新たに竜安寺石庭における西欧手法について指摘してみたいと思います。

 まず、石庭を囲む塀は東西両側とも北から南へ傾斜しており、方丈から石庭を見ると遠近感が強調されるパースペクティブの手法となっています。


(中略)


 次に、砂面が南から北へ傾斜している上、東から西にかけても少し傾いており、その結果、前述の方丈から見たパースペクティブをさらに強調することになる上、東側の玄関から入ってきた際の石庭の眺めの遠近感が強調されるパースペクティブの手法が巧みに造りだされています。


(中略)


さらに、パースペクティブの手法は配石にまで及んでおり、最も方丈に近い石の高さを約55cmに据え、玄関側の石は土盛りして約100cmと高くし、それ以外の石を低めに据えてパースペクティブをさらに強調するのに成功しているのです。
 これらのパースペクティブの手法が同時代のヨーロッパのルネサンス・バロック庭園で大流行したのは言うまでもありません。

庭志から庭師へ 

竜安寺方丈庭園 平面図

 一方、竜安寺石庭に見られる西欧手法はパースペクティブだけではなく、やはり同時代のヨーロッパ庭園で流行した黄金分割の手法についても指摘できます。


 方丈から見て、まず右側から1:1.618の黄金比の長方形をつくり、対角線を引くと五組の石郡の内、三組がその線上にぴったりと並びます。
 次にこの対角線を延長し、塀との交点から垂直な線を引くと、もう一つの黄金比の長方形の対角線となり、残る二組の石郡の一つが線上に並びます。
 そして、残る一組の石組も、逆手から造られた黄金分割線上と黄金比の長方形の交点上にぴったり重なるのです。


 この他、石庭そのものが12×24メートルという二つの正方形に分割され、やはりここにも西欧整形式庭園の手法が認められます。すなわち、竜安寺の造形意図は、西欧手法による幾何学性にあるといえましょう。

黄金比といえば、少し前に話題になった映画「ダヴィンチコード」で有名になりましたよね。

因みに著者の宮沢氏は竜安寺石庭の作庭者を、西欧技術に明るかった小堀遠州と推理しています。

次の本を紹介しようと思ったのですが、今日はこの辺で。

次回、竜安寺方丈庭園② につづきます。